1988年ソウルオリンピック。
 | 筆者(左から2番目)と祖父の李熙健 |
「在日韓国人後援会会長」の祖父と一緒に過ごす時間は全くなかった。覚えているのは金浦空港から明洞のロイヤルホテルに到着すると入口に人が溢れていた。ほとんどの人は顔が日焼けしていて黒く、中には韓服を着た年老いた女性たちもいた。
祖父を見るや、その山集りの人たちは「アイゴ、アイゴ」と祖父に駆け寄った。中には大泣きしている人もいた。私も知らないおばさんたちから頭を撫でられたり、手を強く握られた。
田舎からわざわざ祖父を歓迎するために来られたのだ。15歳で故郷を出て、人生を誠実に懸命に休むことなく走ってきた祖父は、この故郷の親戚の歓迎をどう感じただろうか。
ロサンゼルス。
ソウルーー
聖火の瞬間···忘れられない祖父の顔
それ以外の〈おひとり様オリンピック〉で、祖父が思っていたことは何だったのだろうか。李熙健とオリンピック。大きなスタジアムで祖父が強く感化されたもの、七つの海を股にかけ、あちこちのオリンピックを見て得たもの……。
生まれつきの卓越したコミュニケーションスキル、ユーモア感覚はどこか国境を越えて通じてしまうところがあり、祖父を単純に〈在日韓国人〉と分類するのはどうかといつも憚られる。祖父は根っからの〈スーパー国際人〉であった。
今でも鮮明に思い出す。ソウルオリンピックの開会式。聖火が点火された時の誇らしげな顔。ゴオーッと大歓声が湧き上がるスタジアムを見つめる祖父。私のような人生経験の浅い人間が思い計るなど滅相もない、あまたの出来事、様々な思いが走馬灯のように祖父の頭の中を駆け巡っていたことであろう。
それはその日、祖父と同じくこの日を待ち望み、点火された聖火を誇らしげに見つめる在日一世の人々も同じであったと思う。
 | 88ソウル五輪開幕式の日(1988年9月17日)、おじいさん一行と韓国選手団の団長団を訪問した | |