ログイン 新規登録
最終更新日: 2025-07-08 11:51:15
Untitled Document
ホーム > ニュース > 文化
2025年07月08日 11:25
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
第60回紙上勉強会 古代史万華鏡クラブ
はるかなる海東の盛国 渤海国⑤

 日本の大和朝廷は779年を最後に新羅との国家的交流を断ち、遣唐使の派遣も838年が最後となり、日本にとって渤海国(698~926年)だけが大陸との唯一の窓口となった。727年の来朝以来、約200年の間に渤海国から34回、日本からの使節が13回に及んだ。
渤海が使節を派遣したのは隣接し対立する新羅への牽制が目的であり外交上、日本をもって父兄の国という礼をとった朝貢であった。しかし、日本という国は今も昔も隣国と仲良く付き合うことが下手な国だとしみじみ思う。強烈な小中華意識のもと、常に威張ってきた。渤海に対する対応にもやがて悪い癖が出る。
新羅との交流は”国書が無礼だ””服装が気に入らない””勝手に国名を変えたのは失礼だ”など難癖をつけて、たびたび入京を許さず追い返した。その対応に怒った新羅もやり返して、ついに断交に至ったのだが、そのやり口を渤海使に対しても行った。せっかく荒波を越えてやって来た使節団に対し、”人数が多すぎる””来朝間隔の取り決めに違反している”とか、おきまりの”国書が無礼”など、さらには”渤海使が災いをもたらすとの陰陽師の占いがあった”という、古代日本独特の穢れ思想まで持ち出したりした。結果、入京を拒否して入港地から帰国させたことが9度にも及んでいる。
まあ、日本側にも飢饉などのやむを得ない事情もあったろう。渤海使への対応の記録を読むと、882年の使節に際し、山城・近江・越前・加賀の国に対し、官舎・道・橋などを修理するとともに、道端に打ち捨ててある死骸を埋葬して渤海使の入京に備えるよう命じており、その時代の国の状況や応接の大変さを伝えている。
このような渤海使に関する記録は日本に多く残っているが、貴族を夢中にさせた貂や虎・熊などの将来品は有機物だけに今に残るものはない。記録に残る最も意義深いものは859年の使節がもたらした宣明暦であろう。この使節は文徳天皇の喪中を理由に入京を許されなかったが、遣唐使が派遣されなかったこの時期、中国で考案された最新の暦が渤海使節によって伝えられたのである。この暦は中国では70年ほどしか使われず、新しい暦に代わったのだが、日本では平安時代の862年から江戸時代の1685年に至るまで、なんと823年間も使い続けられた(改良はあったが)。このことは日本という国がいかに長い間、海外の情報から疎外されていたということの代表例である。
国際情勢の把握も渤海だのみだった。唐の大動乱、安史の乱は日本の遣渤海使・小野田守が渤海から伝え聞いたとの記録がある。894年、菅原道真の上奏によって遣唐使の廃止を決めたのも、この年やってきた渤海使が唐の黄巣の乱を伝え、唐の命脈が尽きるのが近いことを知ったからと思われる。
意外なことに現在の日本に渤海文化が残っている。雅楽である。
雅楽は日本離れした音曲に聞こえる。調べてみるとやはり外来楽として唐楽・高麗楽・百済楽・新羅楽・度羅楽(済州島)のほか林邑楽(インドシナ半島)が伝わり、非常に国際色豊か。
大仏開眼祭の記録が残る。古来の大歌から始まり、久米舞(縄文人の末裔である土蜘蛛を征伐する舞であり、歌もある。近代の軍国時代にも戦闘を鼓舞するフレーズとしてあった”撃ちてし止まん”がそれだ)に続き120人の少女が足を踏み鳴らして歌う女踏歌、種々の散楽(サーカスのようなもの)と、国風歌舞が続く。それから一転して外来の典雅な唐楽や高麗楽、そして林邑楽が奏でられたとある。それらの楽は東大寺が保存し、明治後は宮内庁が継承している。渤海も音楽や舞踏が盛んであり、渤海楽も日本に伝わり、今も残る。前回、淳仁天皇が楽女十数人を渤海に贈ったと書いたが、渤海楽を上手く舞った乙女たちであろう。今も奏でられる調べを聞いてみたい。
渤海国は926年、モンゴル族の契丹に滅ぼされる。都は攻め込まれ破壊され古文書も燃えて残らなかったであろう。渤海の地に残る日本との交流の名残は都の一つ、上京龍泉府(中国・黒竜江省寧安県)の遺跡から出土した一枚の和同開称だけだという。
渤海を滅ぼした契丹族は遼王朝を建国。12世紀、その遼を滅ぼしたのは渤海国を高句麗遺民と共に建国した靺鞨族の後裔である女真族で、金王朝を建国する。まことに激しい民族間の争いであった。
韓半島ではこの時期、高麗王朝が起こる。その国号は強国高句麗の再興の意思を表すものである。高麗は契丹の攻撃にさらされた渤海の救援に動き、渤海滅亡に際し、王世子をはじめ、奴婢を合わせた遺民を受け入れたらしい。それは高麗の人々にあった強い同根意識からであろう。戦乱続きのこの時代、ほっとする話である。

雅楽が国際色豊かなことには驚かされる。古代から現代まで寺社の祭祀や儀式に継承されている。写真は出雲大社で奉納されていた左方(唐楽)の舞「蘭陵王」。典雅な雅楽の舞と音色は古代を彷彿とさせる                (撮影・勝股優)

2025-07-09 6面
뉴스스크랩하기
文化セクション一覧へ
家計債務の急増に警鐘
「李熙健(イ・ヒゴン)賞」に 井植敏...
金基炳・ロッテ観光開発会長に聞く (1)
金永會の万葉集イヤギ 第54回
韓日国交正常化60周年in SEOUL
ブログ記事
ゴッホかラッセンか?
「どっちもどっち」論はだめだ
「闘争本能」というものはない:哲学の現在21
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
自由統一
北朝鮮人権映画祭実行委が上映とトーク
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません