 | 現場で指揮をとる金基炳・ロッテ観光開発会長(左から2番目) |
金基炳会長はかつて、商工部(現・産業通商資源部)の職員だった。
1964年に張基榮・経済副首相の秘書室長を務めたのを皮切りに、68年には商工部の商務課長に就任。70年の大阪万博における韓国館の建設・運営を現地で指揮した。
さらに、大統領が派遣した対日経済使節団の一員として、在日同胞や日本企業の対韓投資促進にも尽力した。その過程で、同氏は「製造業の一本足打法では限界がある」と痛感する。外貨を稼ぐ新たな道「観光」に注目した。
「観光は工場も煙突もいらないし環境を汚さない。また外国人を韓国に呼び込み、韓国人が海外で現地の人に好印象を残せば、それ自体がブランドとなり、韓国製品の価値も上がる。私はそう確信していました」
転換点となった辛格浩会長との出会い
ロッテ観光開発という社名が誕生した当時、金会長はロッテグループ創業者・故辛格浩会長を訪ねた。妻の親族にあたる人物でもあった。
金 「ロッテの名を使わせていただけますか?」
辛 「いいだろう。投資金はいくら必要なんだ?」
金 「金銭的な援助はけっこうです。ただロッテという名前だけ貸してください」
辛 「わかった。うちのホテルに、海外から観光客をたくさん連れてきてくれ」
当時、辛格浩会長はソウル市庁近隣の半島ホテルを買収し、ロッテホテルの建設を進めていた。金会長はこの出会いを通じ、「観光」産業の将来性を確信した。ロッテ観光開発は、ロッテグループとは法人上は別会社だが、その社名には「国家に尽くす(報国)」という重い使命が込められている。
創立3年で観光業界トップへ
ロッテ観光開発は創立3年目に、訪韓外国人旅行(インバウンド)分野で圧倒的なシェアを確立。特に日本人観光客市場をほぼ独占した。その後は修学旅行やクルーズ、チャーター便、団体旅行などへと事業を拡大していく。
現在、金会長が手がける「済州ドリームタワー複合リゾート」は、カジノやホテル、ショッピングなど観光のあらゆる要素を集約した、まさに「観光産業の結晶」とも言える存在だ。済州島で最も高層の建物でもある「済州ドリームタワー」は、世界に753あるハイアットホテルチェーンの中でも、規模・実績ともにナンバーワンを誇る。
「なぜ成功しているのか。それはオーナー(他の系列ホテル社長は権限を委任されている)として直接経営に関わっているからです。観光を『流行』ではなく『産業』として捉えている。だから一切ブレることもありません」
とはいえ、金会長は自らの功績を誇ることはない。ただ「すべての判断は、国のためだった」と静かに語るだけだ。
明らかなことは、同氏の切り拓いたその道が、韓国における観光の原点となり、その基盤の上で、いまも観光産業が前進・発展し続けているということだ。
(ソウル=李民晧)
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