万葉集という人類の偉大な遺産を遺した一人の女人がいる。その女人のことを紹介したい。万葉集の世界に入るためには、対面せざるを得ない女人だ。万葉集において最も重要な人物、鸕野讚良である。天智天皇の次女で、天武天皇の皇后でもある。彼女の名前を漢字の意味通りに解釈すれば、「鵜の原を讃えよう」との意味になる。
万葉集に鸕野讚良の存在が本格的に見えてくるのは、28番歌から33番歌までの6首だ。近江国の百礒城に臨時に安置されていた天智天皇を畝傍山の橿原に改葬しながら、父の魂を慰めるために作った作品だ。鸕野讚良の悔恨や悲しみがこもった歌だ。
これらの作品は父親への慰めの他にもう一つの機能があった。このことが重要だ。万葉集1番歌の主人公である雄略天皇を淵源として継がれてきた万世一系の皇統が、天智天皇から娘の鸕野讚良へと大きく屈折するようにした作品なのである。
鸕野讚良はこれらの作品の力で後日、持統天皇として即位する。歌にそのようなことを果たす力があると言えば、読者の皆さんは呆れるかもしれない。しかし、それは現代の合理主義的考えだ。万葉の時代の人々は歌にはそういう魔力があると信じていた。
万葉集は古代日本が生み出した人類の偉大な遺産だと考える。鸕野讚良はこの万葉集の誕生に決定的に寄与した女人だった。万葉集の枠組みは彼女が作ったと見るべきだ。
万葉集第1巻に収められている84首のうち、半分ほどが鸕野讚良と直接または間接的に関連している。彼女の役割は絶対的だった。
鸕野讚良の全面的な信頼と支援で、万葉郷歌は国家的・社会的地位が大きく上昇できた。彼女を万葉集の母と呼んでも、決して過言でない。鸕野讚良を除いて万葉集を語るのは、富士山を除いて日本を語るも同然だ。
鸕野讚良は天智天皇の次女として生まれた。同母姉の大田皇女、異母姉妹の大江皇女、新田部皇女の4人が叔父の大海人皇子に嫁いだ。
大海人皇子は兄の天智天皇の死後、壬申の乱を起こし、兄の後継者である大友皇子を排除し天皇に即位した。古代日本の最大の乱だ。
鸕野讚良は女人として直接、壬申の乱に参戦する。大海人皇子がこの戦いで勝利したのは、半分は妻の鸕野讚良の功だったとも言われる。
壬申の乱で勝利した後、鸕野讚良は父の天智天皇を畝傍山の橿原に改葬する。そのとき、万葉郷歌が6首作られた。万葉集の初期の編纂者は、これらの歌が鸕野讚良を天皇にしたと信じた。
6首のうち、四つの作品を紹介する。皆さんが想像すらできなかった古代日本の秘密の世界へようこそ。
万葉集の母 鸕野讚良 うねり継がれる皇統(万葉集28・29・31・32番歌) <続く> |