米トランプ政権がラジオ・フリー・アジア(RFA)やボイス・オブ・アメリカ(VOA)といった主要な対北ラジオ放送を中断した影響が、北韓内部社会に深刻な変化を引き起こしている。これまで北韓住民にとって外の世界と繋がる最も身近な窓口だった短波放送が消滅したことで、外部情報の流入は急激に減少し、社会全体に”情報の空白”が広がりつつある。
北韓内部の情報筋によれば、以前は仲間内でラジオで得た内容を密かに交換する文化が存在したが、放送停止以降、その行為自体が完全に姿を消したという。「外の世界がより遠くなった」という住民の声が象徴するように、地域の雰囲気は一種の沈黙状態に陥り、外部の出来事を話題にする住民もほとんど見られなくなったとされる。
状況をさらに悪化させているのが、韓国国家情報院や韓国軍が運営していた対北ラジオ放送の停止だ。北韓住民にとっての主要な情報ルートが同時に断たれたことで、国家が提供する”唯一の情報源”以外の選択肢がほぼ完全に消滅した。結果として、住民社会で非公式に形成されてきた世論や価値観の自律的な動きが弱まり、真偽不明の噂や流言の拡散スピードが速まる現象が確認されている。特に保衛部が意図的に流す操作的な噂が”もっとも信頼できる情報”として受け止められる例まで生じており、国家による世論誘導がより容易になっていることが読み取れる。
北韓当局は長年、外部情報の遮断を最優先課題としてきた。2006年の「電波管理法」では、テレビやラジオの固定周波数を解除する行為を違法化し、受信機内部を封印する措置を徹底した。それでも住民は、国境周辺の山中に入り夜間に短波を聴取するなど、統制を潜り抜け外部情報を求め続けてきた。しかしラジオ放送そのものが停止した今、その努力は実を結ばず、住民の不安や孤立感はむしろ増幅されている。「世の中がどう動いているのか分からず心配だ」という声から、「いつか良い知らせが届くと信じている」という希望的観測まで、幅広い感情が渦巻いているという。
情報が遮断されることは日本にとっても無関係ではない。拉致問題や人権状況に関する日本の主張が北韓内部に届く可能性はさらに低下する。今後、脱北者ネットワークを介したヒューミント(人的情報)が、内部社会の沈黙化により機能しにくくなるリスクも指摘される。
韓日米は今後、対北政策を検討する際には、軍事・制裁といったハードパワーだけに依存する戦略では不十分である。外部情報の流入量、住民の情報アクセス、社会の情報多様性といった”情報環境”そのものを政策の一部として位置付ける必要がある。パフォーマン狙いの極めてレベルの低い風船ビラや尹錫悦前政権が仕掛けたドローンによるビラ散布などという小手先の情報発信ではなく、北韓住民の立場に通じた情報発信、あるいは対北交流の非政治的チャネルの検討など、ソフトな手法の再構築が求められる。
情報空白の時代における北韓政策の成否は、いかに”見えない社会の深部”に働きかけられるかにかかっていると言える。
高英起(コ・ヨンギ)
在日2世で、北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。著書に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』など。 |