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最終更新日: 2025-07-25 17:30:00
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2025年07月25日 17:30
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李薫の「家族の肖像」 第10回
四天王寺ワッソの総監督、 父:李勝載 (1)

大学ではアメリカンフットボール部に

父:李勝載(イ·スンジェ1947-2020

小学校、中学校、高校を通じて生徒会長を務め、大学は東大へ。

高校ではバスケットボール、所属。絵に描いたような優等生だった。周囲の期待に応えようと、いや、その期待以上のことを成し遂げようと懸命だった父。

在日社会を牽引する立場になってからも同じで、40代に入って歯がボロボロになり、入れ歯を入れていた。ちなみに祖父は94で亡くなるまで歯が欠けることはなく、全て自分の歯だった。

 

小学一年生だった冬の日の放課後。担任の先生が私の両肩に手を置き、真剣な眼差しで、

「苗字が変わることは大変なことじゃないのよ。気にしないでいいのよ」

と言った。私の苗字が「五影」から通名の「平田」に変わったことを翌日の朝会でみんなに告げた。当然不思議がったクラスメイトたちは

「なんで、なんで」

と訊いてきた。私は自信満々に

「占い師の先生が苗字を変えたほうがいいって言ったからよ」

と答えた。まだ小学一年生の単純な子供たちは私の言葉を

「へえー」

と信じた。私の「五影」歴は七年だった。

父は約30年間「五影勝則」だった。父の高校までの卒業アルバムには「五影勝則」とある。父は幼い頃から「神童」の誉高く、小中高、全て生徒会長を歴任。バスケにバンドと、万能の人だった。学校のアルバムの父の写真は、どれも自信に満ちていてモノクロの写真なのにリーダーオーラが眩しい。

父は周囲の期待に大いに応え、東京大学に入学した。当時は学生運動が激しかったが、父は勉学にアメリカンフットボールにと、快活で誠実な学生生活を送っていた。「五影勝則」として。

「僕の大学の同期の半分くらいは官庁に入ったね。東大は官僚を作る大学だから」

「五影」のままなら皆が羨むエリート街道まっしぐらのレッドカーペットが父の前に広げられていたかもしれない。しかし父は数年の大和銀行勤務の後「五影」の衣を脱ぎ、「李」つまり「平田」の鎧をつけることを選択した。

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