北韓は2024年、韓国に向けて「汚物風船」を飛ばすという暴挙に出た。
韓国の脱北者団体が北韓に向けてビラやUSBなどを気球で飛ばす行為に対する「報復」として、大量の汚物が搭載された汚物風船を飛ばしたわけだが、一連の挑発行為の背後にいたのが、北韓の対南政策における強硬的「司令塔」として知られており、金正恩総書記の実妹である金与正(キム・ヨジョン)氏だ。
金与正氏には、最初の汚物風船を飛ばした翌日の24年5月29日、「汚物は誠意の贈り物。大事に拾い集めるべき」とした驚愕の談話を発表、韓国のみならず世界に衝撃を与えた。これらの風船には、堆肥・ゴミ・汚れた衣類などを詰めた透明のビニール袋が装着され、風向きを利用して韓国領内に送られた。一部には鋭利な金属片やビラも含まれており、単なる嫌がらせの域を超えた、心理的・衛生的な攻撃となっている。韓国ではこれらの風船が落下した地域で不快感や不安感が広がり、住民の外出を控える動きや地方自治体による対応が急務となった。
風船の内容物が「汚物」であることは、ただのゴミというより、相手を侮辱し不快にさせる明確なメッセージが込められていることから、韓国人の国民感情を刺激し、対北感情の悪化を招いた。
金与正氏は、20年の開城南北共同連絡事務所の爆破に関与したとされるほか、国際社会や韓国政府への威嚇を強め、今回の汚物風船の戦術もその延長線上にある。北韓は、公的な場でも「相応の対応」とし、正当化している。しかし、実際には国際法や南北合意に対する重大な違反行為でもある。
韓国政府はこれに対して警戒を強め、軍や警察を動員し風船の回収や監視に当たっている。
興味深いのは、金与正氏がこれらの行動を自らの名で語ることで、国内外における自身の権力基盤を誇示している点だ。
兄・金正恩氏を信頼できる妹として支え、有事の際のピンチヒッターの役割、その後のジュエ後継体制を支える存在としての評価が浮上する中、こうした威圧的な対南措置を通じて、自身の指導力や忠誠心を軍や党に対してアピールしているとも見られる。
しかし、汚物風船の使用は一時的な効果はあっても、国際的には北韓の「野蛮的」な姿を際立たせるものであり、長期的には外交的孤立を深める結果になりかねない。加えて、金与正氏の名を冠したこの戦術は、彼女自身のイメージを「過激で衝動的な指導者」として固定化させるリスクも孕んでいた。
汚物風船は、24年5月28日から同年11月28日までの半年間で、累計5751個が飛ばされた。結局のところ、汚物風船は物理的な破壊力を持たないが、その象徴的意味と心理的効果は無視できない。そして、それを戦略的に利用する金与正氏は、実妹の域を超え、北韓の権力中枢で独自の存在感を放ち続けている。
南北関係が緊張と対話の間を揺れ動く中、金与正氏の動向は今後も注視、警戒しなければならない。その一方で、汚物を飛ばした金与正氏=「汚物姫」と嘲笑される日が来るかもしれない。
高英起(コ・ヨンギ)
在日2世で、北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。著書に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』など。