昨今、ASD(自閉スペクトラム症)がドラマや小説などの題材として数多く取り上げられ、いずれも注目を集めている。テレビドラマの人気シリーズとしては『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』(2019~)がその筆頭だろう。日本でも『リエゾン こどものこころ診療所』(22)、『厨房のありす』(24)など、さまざまな作品が放映されている。文学にも多様な作品があり、アメリカの作家エリザベス・ムーンによるSF小説『くらやみの速さはどれくらい』(02)や、日本の脚本家・山下久仁明の『ぼくはうみがみたくなりました』(02)、漫画にも戸部けいこの『光とともに…自閉症児を抱えて』(04)など、数え上げれば枚挙にいとまがない。そこで今回は韓国ドラマ『ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士です』(21)とチョン・ヨンジュンの小説『宣陵散策』(15)を通して、韓国で描かれたASDを抱える人々と、彼らと関わる周囲の視線に迫ってみたいと思う。以前、『サイコだけど大丈夫』×『アーモンド』でも同様のテーマで、ASDを抱える本人を中心に考察したが、今回は予備知識なしに偶然彼らと関わるようになった、いわゆる一般人の戸惑いのほうに重点を置いて述べていきたいと思う。
ドラマ『ムーブ・トゥ・ヘブン』は遺品整理士として働くアスペルガー症候群(ASDの特徴のひとつ)の青年、グルを中心に、彼の後見人となった叔父サングとの交流を描いている。人の感情を理解することが苦手なグルだが、決して焦らず、温かく見守る父のもとで遺品整理の仕事を続けるうち、徐々に人の心を理解するようになっていく。だが父の死後、後見人となったサングは刑務所から出所したばかりのチンピラだ。グルを見守るどころか厄介者扱いする始末。自分の面倒すらまともに見られないムショ帰りの男に、後見人など所詮無理な相談だった。
韓国では14年に「発達障害者権利保障と支援に関する法律」が制定された。それに伴い、国や地方自治体は拠点病院や地域発達障害者支援センター等におけるリハビリテーションと発達支援、日中活動支援等を実施していくことが定められ、併せて保護者への教育、心理相談、兄弟姉妹に対するプログラムの提供も開始された。とはいえ、一般の人々にあまねくその法律が浸透しているかどうかはまた別の問題だ。
『宣陵散策』はアルバイトで自閉症の青年と一日を過ごすことになった主人公の、戸惑いと変化を描いた小説だ。
先輩から一日だけだからと、半ば強引にこのアルバイトを任された主人公は、時給1万ウォンという破格の報酬を提示されても、融通の利かない自分にできるとは思えないからと、はじめは断ってしまう。すると先輩は、お前ほどバカ正直で優しい奴はいないから、と彼にこのアルバイトを頼んだ理由を明かす。難しい仕事ではないけど、おかしな奴に任せたら、ひどい目に遭わされる、と。
こうして主人公は自閉症の青年、ドゥウンと対面する。先輩から聞かされていた以上に、ドゥウンは一筋縄ではいかず、主人公を狼狽させるばかりだった。会ってから15分、すでに主人公はドゥウンを持て余していた……。
ASDとはじめて接した彼らの戸惑いは果たして解消されるだろうか。次回はサングや”主人公”の思いとともに、さらにその周辺の人々の反応についても言及しよう。