李薫の「家族の肖像」 第3回

日本は春、韓国は秋が好き
日付: 2025年07月01日 00時58分

家族思いの祖父2


最晩年、祖父は30年以上住み慣れた奈良から大阪のど真ん中、大川のほとりに引っ越した。天神祭の船渡御でたくさんの船が往還する。祖父は大阪に引っ越してから、川べりや近所をゆっくりと杖を突きながら散歩することを始めた。

一方、その頃の私は延世大学韓国語学堂での課程を修了し、延世大学国文科へ編入して悪戦苦闘していた。一回り下の〈同級生たち〉とも馴染めず、四方に衝立をたて、その中に籠っていた。

学期末試験が終わると大阪に逃げるようにして帰った。私は当時すっかり疲れ切っていて、出口の見えない深い森に迷い込んでいた

祖父の散歩は夕方の四時頃。おしゃれな祖父はコーディネートばっちりで、帽子までかっこよく決めていた。祖父はいつも背筋がピンと張っていた。そのまっすぐな背中を後ろからゆっくりと追うだけでも、韓国での生活に行き詰まり、前向きになれず萎えた私の心は癒された。

時々ベンチに座って交わした、たわいもない会話も、私の乾き切ってしまった心に潤いを与えてくれた。散歩は私が付き添って祖父をアテンドする立場なのに、すっかり私の魂のリハビリタイムになっていた。大学に戻る、つまり韓国に戻る数日前。ベンチで休憩していた時、私は思わず祖父に言ってしまった。

「おじいちゃん。私、大阪に戻ってきたらダメかな。」

会話が途切れ沈黙が流れた。祖父は私と目を合わせず、どこか遠くを見ながら、

「お前、自分で決めたことやろ。だったらやりとげなあかん。途中で放り出して帰ってきたら、甘やかされて育ったから根性なかったって周りから思われるがな」と。

私は少し涙目になりながら、「わかりました」と答えた。祖父はゆっくりとベンチから立ち上がり、散歩を再開した。何歩か歩き、立ち止まり、振り返らず前を向いたまま

「やっぱりあかんと思ったら帰ってきたらええ。無理して居る必要はない」

と小さくポツリと呟いた。祖父の思いやりに思わず涙が頬を伝った。

「いやいや、おじいちゃん。まずは頑張るから」

と強がって見せた。結局私はあれから強がったまま、今も韓国にいる。祖父は足を悪くしてからも車椅子で散歩を続けた。大川沿いの桜並木が満開となり、風に乗って至る所にピンクの花びらが舞う季節がお気に入りだった。

日本での散歩は春がお気に入りだったけど、韓国での散歩は漢江沿いの秋がお気に入りだった。

「見てみ。韓国の空は青くて高いやろ。最高なんや、これが」と。

祖父は韓国の秋の空が好きだった。


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