朝日新聞(2025年4月22日)の「耕論」に「戦後は終わったのか」という特集がありました。
そこに北岡伸一東大名誉教授が10年前の安倍晋三首相の戦後70年談話の作成に関わったときは、「侵略」や「植民地支配」という言葉を使ったが、石破茂首相の戦後80年談話においては、もう「おわび」の言葉は入れる必要がないというのです。また、歴史を伝えることと、いつまでも謝罪を続けることは同じではないともいいます。
しかし、この10年にどんな変化があったのでしょうか。北岡教授が関与したとされる戦後70年談話には、先の大戦について、日本が力の行使によって解決しようと試み、世界の大勢を見失い、戦争への道を進んでいったとあります。
「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」ことを含め、「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」をかみしめるとき、「今なお、言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じえません」と述べていたのです(2015・8・14内閣総理大臣安倍晋三による「戦後70年談話」)。
それからわずか10年が経って、何の変化もないのに、なぜもう「おわび」をする必要がなくなるのでしょうか。
1952年4月28日発効のサンフランシスコ平和条約で日本国は主権を回復しましたが、その際、独立の条件として、日本が植民地支配をしていた「朝鮮」「台湾」「樺太」などの領土権を放棄する(同条約第2条)だけでなく、そこに住む住民の財産権について、その清算のため「特別取極」を締結するように義務付けられています(同条約第4条)。
このような日本が独立時に国際社会に向けた国際公約について、日本の国会でも議論された気配がありません。植民地支配をした「朝鮮」のうち、南の「韓国」とだけは一応解決したことになっていますが、韓国でも財産権の清算のための「特別取極」が実行されたかどうか疑問です。
例えば、郵便貯金の債権について、これを200倍にして支払うとするなどの清算手続きがされていないのです。しかも日本はその他の「北朝鮮」「台湾」「樺太」などは一切、手を付けていないのです。弁明として外交上の困難を理由とすることはできるでしょうが、戦後80年間、日本政府が外交上積極的な申し出を一度としてしないのは明らかです。
このような状況では、日本は「戦後は終わった」という資格がないと思います。朝日新聞はなぜこのような議題を選んだのか疑問です。安倍首相の上記の「戦後70年談話」には、我が国は「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ」「平和国家としての歩み」に誇りを抱いたとあり、「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」と述べられていますが、戦後の独立の出発に際して、日本が国際社会に約束した国際公約を守らずして、日本はいかなる「誇りを抱く」ことができるのでしょうか。
「戦後80年」という節目を意味あるものにしたいのなら、日本は直ちにサンフランシスコ平和条約第4条の「特別取極」の実行に取り掛かるべきだと思うのです。
そしてその際最初にいうべきは、戦後80年になって初めて清算を始めるという遅きに失したことへの謝罪です。
もちろん「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」に心からのお詫びをするのは当然です。したがって、北岡教授のいうように「もう謝罪は不要」という考え方には全く同意できません。