韓国経済を牽引した本国投資協会の半世紀 第3回

「サービス業」のパイオニア
日付: 2024年04月23日 11時45分

 1960年代の産業化初期こそ製造業に集中していた在日同胞の母国投資は、70年代に突入すると多様化し始める。著しく投資先の業種が変化していく中、同胞が着目したのがサービス業だった。日本では日常化されていた「サービス」だが、当時の韓国においては未知の分野であった。
70年代は、軽工業から重化学工業へと主力産業が変せんしていった時代だ。重化学工業は国が戦略的に後押ししていた産業分野であり、莫大な資本を有する大企業や、政府の管轄下にある公営企業のみが参加可能だった。もちろん、在日同胞企業の中でも、辛格浩氏率いるロッテが重化学と石油精製分野に進出したが、あくまでそれは例外的なケースだ。
在日同胞が進出したサービス業は、飲食店、ホテル、百貨店、ゴルフ場などの観光・レジャー分野が多かった。ロッテも初期は製菓業からスタートし、その後は百貨店やホテル、免税店などのサービス業を通して事業を拡大していった。本国投資協会をルーツに設立された第一投資金融や新韓銀行もまた、金融業である前にサービス業としての顔を持っていた。
しかし「サービス業」という概念が存在していなかった当時の韓国では、それが産業として認識されることもなかった。こうした風潮は80年代まで続いた。例えば、飲食店で料理を注文すると、従業員は皿を放り投げるように提供する。そのようなぶしつけな態度を目の当たりにしても、客は気分を害することもなく当然のように受け入れていた。
こうした社会的風潮を打破したのが在日同胞の母国投資家だ。代表的な企業としては、販売業ではロッテ、金融では新韓銀行がそれぞれ挙げられる。両社に入社した場合、研修で最初に学ぶプログラムは「挨拶の仕方」だった。
しかし当時は、客に「いらっしゃいませ」と挨拶することすら「日本式」であると揶揄される時代だ。「お客様は神様」「顧客満足」を意味する「サービス第一主義」文化を定着させるまでの道のりは苦難の連続だった。
「日本の都市銀行では客を『神様』として扱い、店を後にする客の背中に向かい45度腰を曲げてお辞儀をします。それが原則です。銀行の創立から1年ほど経った頃、我々の銀行で行員がお辞儀をすることに対し、他行の方々が難色を示していました。昔から韓国は『東方礼儀の国』と言われています。尊敬の念を込めてお辞儀をすることは、韓国の人々が日本に伝えた私たちの根幹でもあるのです。それをなぜ、日本から入ってきたものだとして問題視するのでしょうか」(李熙健会長、1992年1月25日、「新韓銀行」業績評価大会での祝辞)
創立から10年が過ぎた頃、初めて語られた李熙健会長の告白は、それだけサービスマインドを母国に定着させることが困難だったことを物語っている。「顧客第一主義」を前面に掲げたロッテもまた、同様の指摘を受けていた。80年代から90年代にかけ、ロッテ百貨店(ソウル小公洞)のオープンセレモニーの様子はしばしばテレビを賑わせていた。朝、開店の合図とともに百貨店のシャッターが上がると、左右に並んだ従業員が客に向かって挨拶の大合唱を送る。
「いらっしゃいませ。最高のおもてなしをご提供いたします」
こうしたロッテのサービスはニュースでも取り上げられるほど話題となったが、「日本式の挨拶ではないか」「偽りの親切だ」と揶揄されることも多かった。しかし、そうした批判をものともせず、在日同胞投資企業はひたすらサービスマインドを国内に移植していった。時が流れ、好評と批判が混在する過渡期を経た結果、最終的には「好評」に軍配が上がった。「国を問わず、他者から好待遇を受けることは気持ちのいいものだ」。長い月日を経て、韓国人もようやくそのことを実感したのだ。
(ソウル=李民晧)

1982年7月7日、新韓銀行創立日のソウル明洞営業店


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